ネービス島への引っ越しを告げると、周りのリアクションはさまざまでした。
家族友人たちは、
「え、どこ?」
「ワクワクだね!」
「すごい適応力。頑張ってね!」
ところが、ネービス島のことを知っている人たちは、
「静かないいところよ、とっても小さいけど」
「行きたくて行くの? 」(いや、無理やり連れていかれる訳ではないです😅)
「大丈夫?」
なんか、ちょっと心配されてる感がふよふよ漂ってます。
何度繰り返しても、引っ越しって大変です。
それが離島でとなると、人付き合い、孤独感、医療機関の有無、自然災害など、不安の要因は増えていきます。
不便なことは多いだろうし、難しい状況が待っているかもしれないけど…
「私は大丈夫」と思っています。
開き直るのもなんですが、たっぷり半世紀分漬け込んだ経験値を持ってくからです。
これまで、何度も苦しい状況を克服してきて得た強さ。
生きて今ここにいる、それだけで証明できる実績です。過去の自分、ありがとう。頑張ってきた! 💪 💪 💪
この7年間で6都市に住み、引っ越しを8回、転職も4回してきました。そのたびに試されてきた自分の限界。
その経験から学んだ、5つの心構え をご紹介します。
移転先がどこであれ、新天地で馴染んでいく時に応用できることなので、参考になれば嬉しいです。
5つの心構え
- 「大丈夫」から始め、「大丈夫」になる
- 当たり前と思わない
- 人とのお付き合いを大切にする
- 冒険をしよう
- 自分のペースで進む
「大丈夫」から始め、「大丈夫」になる
英語に、“Whatever happens, happens” という表現があります。日本語だと、「なるようになる」
人生の旅路でどんなことがあっても、いずれはなんとかなるということ。
どうせなんとかなるんだったら、試練の数珠つなぎみたいな旅を「大丈夫」から始めると、山も谷も、越えやすくなります。
自分の中で「大丈夫」は育ちます。私の中で、奈良の大仏のようにどっしりと構えている「大丈夫」。抱えている問題に圧倒されたり、頑張りすぎて疲れてしまった時、その膝の上で猫みたいに丸くなって休める場所。そして充電。
「大丈夫」を育てていくには、長い時間と訓練がいりました。たくさんの助けの手もつかんできました。いまだに揺らぐこともあるので、一生続く心の訓練です。
以前アメリカの日本庭園で見た盆栽には、樹齢を示すのに、“In Training” という英語が使われていました。鎌倉時代から育てられてきた盆栽は、“Approximately 800 Years In Training” (およそ800年間 訓練中)というように。
私たちも同じです。生きている限り、“In Training” 、訓練中。
「大丈夫」を育てるのに、力を貸してくれるのは「冒険」です。逆境に置かれたり、未知の状況に不安になった時は「冒険」のチャンス。
言葉には力があるので、私はなるべく自分が動きやすくなるように、置き換えをします。
「不安」を「冒険」に置き換えただけで、ワクワクしてきませんか? これを乗り越えたら、今よりもっと楽しい、面白いことが待っている、という気持ちになりませんか?
「新天地での不安」が、「新天地での冒険」に。こぶしを振り上げて「やるぞ!」って。
「冒険」をすると、その結末がどうであれ、自分の経験値が上がります。「やったことある」や、「見たことある」で、「大丈夫」は育っていきます。
そして、「大丈夫」は、ずんずん次の行動につながっていきます。
私が7年前キュラソー島への移住を決めた時も、周りをびっくりさせました。でも、私に不安は全くありませんでした。
それというのも、私は当時アメリカ西海岸で第二の人生を送ろうと準備をしていたからです。住む場所も仕事も未定、でも独りで再出発する自信がありました。どんな状況でも対応できる、してみせる気合。
もと同僚だった島男子との再会がきっかけで、方向転換をしただけです。真っ直ぐ見極めていた道の横に、ふと別の道が現れた感じです。
「こっちの冒険の道、進んでみる!」で飛び込んで、今に至ります。
思えば、アメリカの大学に編入した時だって同じ。中学生の時から将来留学すると決めていたので、強い意志だけで海を渡ってきました。
現状は厳しく、授業について行けない。気の利いた世間話も英語でできない。早朝のチャペルの鐘で目が覚めるたび、ポロポロ泣いていた毎日…
あの時はだいぶ大丈夫じゃなかったのですが、今では懐かしい思い出です。
結局、「大丈夫」になったのです。
私たちはみんな、ずっと冒険と大丈夫を繰り返し、つなげてここまで来れたのです。
それなら、最初から「大丈夫」で始めれば、ゴールの「大丈夫」にだどりつくまでの道のりが、少し楽になるのではないでしょうか。
当たり前と思わない
ネービス島に移るにあたり、まず心したのは、「当たり前」なんてことは何もない、ということ。
こんな小さな島で、
- 水道から水やお湯が出ることがすごい
- 電気が通っている
- ゴミ収集がある
- スーパーマーケットが3軒はあり(聞くところによると、5軒)大まかな日常品や食料品はマイアミから毎週コンテナ船で届く
- 近海では、red snapper (フエダイ)mahi mahi (シイラ)yellowfin tuna (キハダマグロ)ロブスター などがとれる
でも、定期的な断水や (特に乾季)予告なしのインターネット遮断や停電は島単位。 何かを修繕するにも、技術をもった労働者や必要な物資の確保に時間がかかることも。
今までの「当たり前」が、瞬時に「有り難たかったこと」に変わる時です。
自分が出来ることは、物がなければ代用品を探す、作る。または、「まあいいか、なくても」と、気持ちを切り替える。
さらに、カリブ海で避けられない自然災害に、ハリケーンがあります。
ひどい時には、空港は閉鎖され、コンテナ船も近寄れず、何日、或いは何週間も孤立してしまう可能性も。
だから、飲み水は普段から余分に蓄えてあるし、太陽光発電で稼働するランプや、手動のラジオ、卓上ガスコンロも持ってきました。
念には念を入れて、うちの島男子 (カリブ海プエルトリコ出身)は、火打ち石まで持ってきてた。
「さすがアイランドボーイ、頼りになる💕」と思いきや、彼は私に、「使い方調べといてね〜」。
え? 私が火起こし係なの? サバイバル島男子/大人になった未来少年コナンだったんじゃなかったんかい…
いや、私も島国日本からのアイランドガール。火ぐらい自分で起こせるようになってやる!
「有り難い」を基盤にして、「無いものは作ってみる」に行動を変えると、得るものがたくさんあります。
私の場合、お料理のレパートリーが爆増しました。パンデミック中、世界中でこれをしてましたね。みんな離島生活していたようなもの。
キュラソー島で日本のSNSで見たいちご大福が食べたくなった時。
もうその頃は、いちご大福って日本では忘れらてたかも知れないのですが、長年の海外生活で浦島太郎子化していた私には初耳で、「何これ!画期的!食べたい!」から、「売ってない!作る!」 まで、一直線でした。
あずき豆は売ってないのに、塩味の缶詰の小豆 (Azukiって書いてあった)がありました。コトコト煮て塩抜きをしてから、砂糖で煮なおし、中国系のお店で見つけたもち粉で、皮も作れました。
すごい回り道で到着した、手作りいちご大福。美味しかった~。
今思えば、他に手に入るお豆を炊いてあんこを作ればよかったのですが、初心者だったので、あんこは小豆でなければ!と思い込んでいたのです。
結果は、こんなかんじ。
勝手がわからず困った時、それを挑戦に変えると、ゲームみたいに楽しめます。
離島で医療機関を利用したときは、「ふりだしに戻る」ばかりのすごろくみたいでした。(すごろくって、死語?!)
これもキュラソー島でのことなのですが、島男子が、膝の痛みのため病院に行くことになりました。
島での友人から、「病院に行くときは本を持ってった方がいいよ」と言われていました。「丸一日かかるから」と。
- (待合室#1)で整理番号をもらう
- (窓口#1)で保険証と身分証明書を提出
- (窓口#2)で予約確認
- 病院の他の場所にある会計に行き
- (窓口#3)で支払いを済ませ(待合室#1)に戻り
- (窓口#4)で領収書を提出し
- 予約をとっていた医師のいる階まで行く許可を受け
- (待合室で#2)で待機
- 診察室のドアまでエスコートされ(待合室#3:折り畳み椅子が4脚。ゴールが目の前!)
- 先生に診察してもらい(うほほい!と心の中で歓喜のダンス💃🏻💃🏻💃🏻)
- (窓口#5)で処方箋をもらい
- 病院を出て、最寄りの薬局に行き
- 薬局で処方箋を提出し(窓口#6)
- 薬が準備され、料金を払い、力尽きる
この過程の一箇所ごとに、何分も、時には何十分も待つ。
あ~頭も身体もふらふらクラクラ〜。「離島でお医者さんに行こう!」みたいなボードゲームのアイディアが浮かんできたくらいです。
私が持っていた「当たり前」を、一掃してしまう経験でした。
何事も、当たり前と思わないと決めたら、何かがなくても大丈夫になります。
ないものは作る。代用を見つける。さっさと諦めて受け入れる。予備の手段として、島を出て解決するもありです。実際島の知人は、膝の手術をするのに南米のコロンビアへ飛んでました。
人とのお付き合いを大切にする
小さな島でのお付き合いはとりわけユニークです。
出会う人々の国籍、背景、慣れ親しんできた文化や価値観もいろいろ。
その人の家族や親戚、知り合いが島のあらゆる分野で活躍している可能性はもちろん、世界中で要人と繋がっていたりします。スーパーマーケットでは必ず誰か知ってる人と鉢合わせです。
新しいお付き合いが始まる時、気をつけていることがいくつかあります。
- 相手に興味を持つ
- 自分の意見は「おあずけ」にしておく
- 相手の話に耳を傾ける
- 思いやりのある言葉を発する
- 出会えたことに感謝
一期一会に寄り添った心持ちです。
相手に興味を持つ
新しく人に会う時まず心するのは、私はまだその人の背景をまったく知らないということ。
ネービスに住む人たちは国際色豊かで、地元出身をはじめ、近辺の島々、中近東、アジア、ヨーロッパ、中には、私が聞いたこともない国からも。
ガイアナ共和国 (Republic of Guyana) を、ガーナ(Ghana) と聞きちがえ、アフリカのどこかだよねって早とちり。後で調べてみましたよ。ガイアナは南米の北東、ベネズエラの東、ブラジルの北側と隣接してました。大陸が違うじゃないですか。知らなかったな〜。どんな国か今度会うまでに調べておこう。
私の世界地理・歴史の伸びしろは大きいけど、人との会話がおもしろい!お国の様子はもちろん、その人がネービスに来た理由もいろいろで。興味が深まると、お互いの距離が縮まります。
自分の意見は「おあずけ」にしておく
初対面はもちろん、何度か会った人との会話でも、自分の意見や常識は横に置いといて、その人のそのままをまず受け入れることにしています。
育ってきた環境の違いは,「常識」の違いも生みます。その人のことをもっと知ることができれば、後からついてくる言葉や行動も理解しやすくなるからです。
自分が慣れ親しんできたものと違う装いを見たり、意外な見解を聞いた時、すぐさまジャッジしない。人呼吸おいて、その「新しいこと」に浸ってみましょう。そこに学びの機会があるからです。
相手の話に耳を傾ける
何かと多忙で、頭の中が「次にすることリスト」でいっぱいのの状態は誰にもあることと思います。でも、あれこれいっぺんにこなそうとすると、一つ一つのことがおろそかになりがち。
人とのお付き合いを大切にする過程で、上の空での会話は避けたいものです。上手くタイムマネジメントをすれば「会話を楽しむ時間」が生み出せます。そして、まず相手の話を聞くことに集中することをお勧めします。
先日、オートミールとレーズンのソフトクッキーが、美味しく焼けた時。新しくできたお友達にあげたくても、おしゃれな箱や袋など持ってきてません。入れ物を作るに適した紙もない。あ~ん、もう面倒くさ…
もう何回か会ってる人たちだからいいかなと、キッチン用のジップ袋に小分けしました。うちの母が見たら、絶対恥ずかしいって言われると思いながら。アイランドライフで私のスタンダードはすでに「ま、いいか」が主流になっています。
ジップ袋をわたした時に真顔で返ってきたリアクションは、
「次は箱に入れてきてね。」
わ~ん、気にしてたことをいきなりつつかれてしまった。赤面の思い。
その後の別の会話で、近辺の島から来た彼女は自分の国の文化や家族のことを話してくれました。
お国の人たちはとても陽気で、しょっちゅうお互いをからかい冗談を交わしているそうな。
だったら私も「いらないんだったら、これは私が食べちゃうよ」って笑って取り上げるふりをすればよかったんだ。分析するまで気づかない真面目すぎる私。
こういう、悪意のない小さなパンチを同様に素早く返すことを、英語では ”quick comeback” と言います。自然にこれができる人が羨ましい…
Quick comeback が苦手でも、彼女の話をしっかり聞いていたから、リアクションの真意がわかりました。
会話の相手が話してくれることは、その人のジグソーパズルのピースを一つ一つ渡されているようなものです。話をするごとに、少しずつ形をなしていくパズルは、その人の個性。それを見て、相手への理解が深まっていきます。
長年親しんできた人のパズルは、さらに壮大なものとなっているでしょう。人は変わってゆくので、終わりなく楽しめるパズルです。
思いやりのある言葉を発する
聞き役が好きな私ですが、たまに言葉を添えたいと思う時も。
そんな時は、自分の「言動の目的」をまず心の中で整理してから、どう伝えれば相手が受け入れやすいか考えます。
そして、発する言葉やエネルギーが、優しくあれ、と意識します。
ジップ袋のコメントに私が実際返したのは、
「早く美味しいクッキーをあげたかったから、こんな袋に入れてきちゃったのよ」
「目的」と「行動」を、笑顔で軽く簡潔に伝えました。彼女はすぐに美味しそうに食べ始めてくれたので、私の目的は無事達成。
相手を思いやる気持ちに満ちた、自分の耳に入っても心地よい言葉は、心の平穏として戻ってきます。
出会えたことに感謝
出会いは学びという贈り物です。
その人ならではのユニークな意見や行動を知って、そういう見方もあるんだなあ、と受け入れる。それに対しての自分の反応も観察する。
もし私が20代~40代だったら、同じ状況に置かれても反応は違ったでしょう。
今ある自分と、自分の生き方をもっと深く知る機会でもあります。
多民族、多文化の小さな島国での出会いに感謝して、学び成長していく。自分がしっくりくる場所を手探りしていきたいです。
冒険をしよう
ここでの「冒険」は、本来の意味での「冒険」です。
カリブ海の島にまた住めるなんて、夢のようです。「おお、海がこんなに近くに!」とか、「ヒツジの群れが!」とか、何度見ても新鮮に驚いている毎日。新しい冒険のチャンスに溢れている環境。ありがたや、ありがたや。
でも、こんな生活がいつまで続くか保証はどこにもありません。冒険は「今」しないと。
最初は気が乗らない、興味がない、と思っていても、実際やってみると面白さが見えてくることが、しょっちゅうあります。
アパートメントへ引っ越してきてすぐ、荷ほどきもままならないのに、うちの島男子から夜釣りに誘われた時のことです。
船便で届いた36箱の身の回り品のうち、5分の1以上が釣り用品だというくらい、彼は「釣り大好き男」です。フロリダに住んでた時は、会社が終わってから、片道一時間半かけてお気に入りの浜辺まで釣りに行き、明け方に帰ってくるようなハードコア。
その反面私は「夜中の海辺なんて蚊に刺されるだけ。お家でネットフリックスしたい」が本音でした。
しかし、これは記念すべき初めてのネービス島での夜釣り。ついていくことにしました。
待っていたのは、もう何年も見ていなかった、頭上に広がる星空。
子供の頃大好きだった、福音館の、“星座を見つけよう” を思い出しました。北斗七星、カシオペア座、オリオン座くらいしか覚えてないけど。
星が見え過ぎてわけがわからないので、星座を探すことは諦めました。これから学ぶことリストに入れて、そのままの海辺の星空を吸収して楽しむことに。
島男子はイカの切り身をエサに使っています。スーパーで売っている、ヒト用の冷凍食材。
フロリダでは活けエビが一番人気で、釣り道具店で常備しているところがあるのですが、ネービス島には、そんなお店はなし。
島の人によると、好まれるのは生きた小魚だそう。総称ベイトフィッシュが集まる場所を見つけ、網を投げて捕まえるか、それ用の釣竿で釣るか。わ~めんどくさ~と思うのは、私が釣り人でないから。
海に飛ばしたイカエサには、すぐ反応がありました。釣り糸の引っ張り具合も力強くて、「何かな、タイだといいな」とこれには私もワクワク。
ところが、懐中電灯で照らした水際で魚が見えるようになると、ワクワクが困惑に。
「エイだ」と島男子。
長さ30cmくらいで、砂の上で上向きでぱたぱたパタパタ。早く海に返さないと。
「魚用のペンチ持ってきて」
こんな時のために、素早く安全に釣り針を外すことができる、長い金属製のペンチがちゃんと買ってありました。釣りキチ島男子、えらいぞ。
私は暗闇のなかを走って釣りバッグまでペンチを取りに行き、まるで手術中のお医者さんと患者さんを応援している気持ち。
「エイさんって、お口が歯なしのプレディター」などと不謹慎なことも考えてましたが。
少し時間がかかったものの、手術(?)は成功、ひと安心。エイの尻尾にある毒棘に気をつけながら、島男子が無事に海へ返しました。
エイさん、今度はシュノーケルしてる時に会いたいなあ。
おうちでまったり独りネットフリックスではできない体験でした。
実は、私が、冒険のお勧めをするのは、ちょっとした後悔が理由でもあります。
キュラソー島に移った当初、自分が仕事を辞めてきたことに後ろめたさを感じていました。
ストレスの溜まる職場で長時間勤務、帰宅後や休暇中でも職場と連絡を続け頑張ってきたので、それが私の定義だと思い込んでいたからです。
時間を自分に使うことに罪悪感がありました。
その話をしたら、島の一人の女性に諭されました。
「『自分だけのもの』も大切よ。あなたの人生なのよ」
キュラソー島での滞在は、やりたい事リストを作る前にあっという間に時間切れとなってしまいました。
そこから学んだのは、どんな理由で今の状況にあるとしても、しっかり自分を見つめて、自分の生きたい毎日を創るということです。
多忙でまとまった時間が取れないなら、5分でも、10分でも、自分の心が喜びに満ちることをする。
30年余りワシントンD.C.で仕事をしていた時、よく空を見上げて心を飛ばしていました。ビルの隙間をすり抜けて、大空に吸い込まれていく自分を想像するのが、ストレス解消でした。
通勤中の街路樹の幹や、歩道の草さえも、じっと見つめて観察していました。空も大地も繋がっているのだから、大自然のエネルギーがそこから湧き溢れているのをイメージして。
離島での日常は私の愛することに満ちています。
海はすぐそこにあり
クリクリ目のロバは道端で草花を食べています。
海に潜れば、小さな可愛い色とりどりの魚たちと会えます。
歴史を語る博物館や旧跡もある。
船で20分の姉妹島、セントクリストファーでの冒険もできます。
期限限定だと思うと、今やらなきゃ感に拍車がかかります。
人それぞれ、追うことは違うでしょう。
賑やかなビーチバーで南国の夜を満喫するもよし、そんなバーで歌わせてもらえるか交渉してみるもよし、新しくスクーバダイビング認定を取得するのもよし。
自分の心の声に耳を傾けながら、慣れている場所 (comfort zone) からちょっとだけ出て、気持ちが向く方へずんずん進んでみたり。
可能性は無限です。新しい冒険や発見の思い出で、人生のバケツがいっぱいになっていきますように。
自分のペースで進む
新しい環境に置かれた時、早く周りに溶け込むために、本当の自分とかけ離れた行動を起こしてしまったことはありませんか。
あなたが何歳であっても、悩むことは似ています。クラスメート・同僚・ご近所の人たちに受け入れられ、気の合うお友達を作って、土地勘も鍛えなきゃとか焦ったりして。
頑張っても、全て満足するまでなかなか到達できず、自分自身や状況に苛立ってしまうかもしれません。
苦手なことが好きなふりをしたり、嫌なことを受け入れたりを続けていたら、いつの間にか本当の自分と程遠いキャラクターになってしまいます。
自分がしたいからではなく、周りがそうしてるからとか、した方がみんなのためだから、と思い込んでやることは、心が入り込んでいないのでなかなか前に進めないでしょう。
私の場合、その環境を作ってきたのが自分だと分かっているので、誰を責めることもできず、落ち込こむこともよくありました。ぐるぐる一人で輪っかの中を走ってる感じです。
それを避けるには、まず「自分の心地よいペースを知ること」が大切だと思います。
私の心が落ち着くのは、余裕を持って、時間をもてあそぶくらいのペース。何事も、早めに早めに、とやっておけば、焦って思い通りにいかず苦しい、という感情を避けられます。
だから、何かのお誘いがあったとき、自分の時間割りを意識して、以前よりもっと慎重に答えを出すようになりました。
心地よいペースを保つためには、「最初に自分の時間を作る」ことから始めます。朝30分でも早く起きるとか、使い回しのできる献立を考えたりとか、テレビやSNSを見ないとか。そうして確保した時間を有効に使い、自分の本当にやりたいことのゴールを達成していくと、心に余裕ができてきます。他のことに使える時間配分のバランスもわかってきます。
気持ちを切り替えて「今」を意識するようになると、家族や気のおけない友人たちとの時間も、さらに充実して楽しくなると思います。
外向的な性格の人は、頻繁に人と会い、行動を共にすることでエネルギーが何倍にも膨らむのかもしれません。そんな人の社交カレンダーはぎっしり埋まっていて、どこに行っても会話の中心にその人がいるでしょう。
人はそれぞれ違っていていいのです。大切なのは、自分の心の声をまずしっかり聞くことです。
自分のペースで進んで、時には誰かに背中を押され、腕を引っ張られて、たくさんの冒険と喜びを味わっていきませんか。
まとめ
新しい場所で暮らしを始めるときの心構えとして、私が実践してきた5つの心構えをご紹介してきました。
1. [大丈夫」から始め、「大丈夫」になる
最初から、どんな壁にぶち当たっても「なんとかなる、大丈夫」と考えて始めると、「大丈夫」な結果に繋ぎやすくなります。「不安」を「冒険」に置き換えると、道のりが少し楽になり、経験値が増えます。ここに今自分があるだけで、私たちはずっと「大丈夫」を何度も達成してきたのです。
2. 当たり前と思わない
「当たり前」と思うことをやめると、全てのことがありがたく感じられるようになります。思ったように物事が運ばない時は、期待のハードルを下げ、柔軟な心持ちで状況を見極め、解決策を練ります。
3. 人とのお付き合いを大切にする
ネービス島には、世界中から来た人々が住んでいます。ここで会ったのも何かの縁、お互いの人柄や文化を学び、自分の世界観を深める機会だと思っています。離島でなくても同様です。一期一会を心して、出会いの一つ一つを大切に。
4. 冒険をしよう
今より少し背伸びをして、自分の安全圏から一歩踏み出して冒険をしてみましょう。新しい可能性に繋がっていきます。
5. 自分のペースで進む
他人に受け入れてもらうために違う自分を創りあげるよりも、なりたい自分になるために、時間も努力もそそいでみましょう。自分を見つめ、心地よいペースを見つけると、これからの冒険の楽しさも増すと思います。
最後に
今回お話ししたことは、離島での新しい暮らしだけではなく、人生一般、どこにいても応用が効くものだと思います。
とはいえ、もしも移住が家族連れであれば、さらに複雑なものでしょう。子供達や配偶者、それぞれが適応していかなければならないのですから。
それに対応していくことも大きな学びです。「大丈夫」を心して、自分の足をしっかり踏みしめ、ぎゅっと手を繋ぎあって一緒に歩いていく「これから」は、家族みんなでの冒険です。
いずれ旅立つ子供たちが、どこで何があっても自信を持って生き抜いていけるすべを、身につけるチャンスです。
新たな始まり。ワクワクを思いっきり楽しんで、ひとまわり成長していきませんか。